..ふりかえってみれば、最初の山は大学三年の秋、二人の友人と登った大菩薩嶺(1960.10.23)、そして最後は、夫婦で歩いた
北海道の北端に聳える利尻山(1999.9.4)であった。100の山のうち、一人で登ったのが約1/4、学校時代の友人や会社の仲間
たちと出かけたのが約1/4、残りが家族登山(そのうち子供と一緒は約10山)という内訳となった。「どの山がよかったか」
と尋ねられても答えるのは難しく、百名山以外の山も含めてそれぞれに思い出に残る山歩きであった。(写真:左/小菅大菩薩道にて、右/稚内への船上から)
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その中から、特に印象に残る山行を拾い出してみると、最初の山らしい山は、大学4年(61/7)の尾瀬。九段高校卓球部時代の
友たちと鳩待口から至仏山に登り、木道のない尾瀬ヶ原を横断して東電小屋に泊まり、翌日は三条の滝から静かだった
御池小屋泊、そしてひうち岳を越えて尾瀬沼を船で渡り大清水に下りた。三日目の登りでは誰にも会うことがなかった、
若い日、尾瀬への三日間の山旅。
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本格的な登山を初めて経験したのが、興銀名古屋支店独身寮の仲間たちとの南アルプス登山(66/8)。芦安鉱泉に泊まって、
広河原から暑さと重荷で足が上らなかった草すべりコースを肩の小屋に入り、翌日は北岳、間ノ岳、三峰岳から熊ノ平小屋泊、
三日目は塩見岳への長い道を歩き三伏小屋泊、そして三伏峠から塩川に下りて鹿塩鉱泉で汗を流した。
この経験がその後の山歩きの基礎になったと思う。(写真:間ノ岳からの北岳)
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夫婦での思い出に残る山行の一つは、結婚の翌年の夏(71/8)の北アルプス裏銀座縦走。上高地から槍沢小屋(泊)、
厳しい登りの末の槍ヶ岳(槍岳山荘泊)、西鎌尾根を下って三俣山荘泊、鷲羽池や槍ヶ岳の展望の鷲羽岳から雲の平で
一日のんびりして(雲の平山荘泊)、祖父岳、野口五郎岳、コマクサ群落の三ツ岳から烏帽子小屋泊、ブナ立て尾根を下って
濁温泉、七倉と歩いた六日間の大縦走。この他にも、二人で歩いた山は、八ヶ岳、槍・穂高、北海道や東北の山々など数多い。
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興銀情報開発センターの若い仲間たちとは、剣岳・立山、鹿島槍、仙丈・甲斐駒、北八つなどに出かけた。その中では、
南アルプス南部を畑薙から入って茶臼岳、上河内岳、聖岳、兎岳、赤石岳と北上して、さわら島に下った五日間の山行(77/7)
が印象に残っている。メンバーの一人が体調を崩したので、赤石からの長い下りを一歩また一歩と時間をかけて下り、
さわら島から静岡までは救急車だった。(写真:小聖岳からの聖岳)
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50歳の夏(89/8)、息子の潔と二人での黒部五郎岳から笠ケ岳への五日間の山歩きは思い出深いものになった。中学三年で
不登校状態だった彼と富山に出て、好天に恵まれて折立から太郎平小屋(泊)、北の俣岳、黒部五郎岳(黒部五郎小舎泊)、
ひどい雨の一日を三俣蓮華岳から双六岳へ黙ってただただ歩き双六小屋泊、ようやく回復した天候のもと抜戸岳、笠ケ岳
(笠ケ岳山荘泊)と歩いて、笠新道を妻と娘の桜子が迎えに来ている新穂高温泉に下った。笠ケ岳で湧かしたコーヒーの香り、
朝日輝く槍穂高連峰の景観など、天気に恵まれた最後の二日間は気持ちの良い山になった。
..それでは、ここで私が歩いた百名山を標高の低い山から順番に10山ずつ区切り、山行記録、アルバムの写真、
年賀状用の版画などをもとにして、登山の思い出などを記してみることにしたい。(文中「二人で」は夫婦二人で、
「勤務先」は興銀、「勤め先」は興銀情報開発センターの意)
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30回近い単独の山行では、薬師沢から高天ケ原、鷲羽岳、水晶岳、赤牛岳を経て黒四ダムに下った北アルプス最奥部の五日間
(90/7)がすばらしかった。薬師沢小屋ではテンカラでの岩魚釣り、高天ケ原では露天風呂につかってのんびり、鷲羽岳辺り
ではタカネヒカゲの飛翔、静かな水晶岳山頂のひととき、誰にも会わなかった読売新道の長い下りなど、一人歩きを堪能
することができた。(写真:水晶小屋からの水晶岳)
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